モンマルトルの名物男、モーリス・ユトリロ

1900年前半から中半にかけてモンマルトルに有名な男がいた。

その男に会いたければ酒場へ行けばいい。いつもカウンターで飲んでいるか、

泥酔して店の端や外で寝込んでいるかだ。時には街中の道に座り込んで、 酒瓶を大事に抱えて寝ていたかと思えば、大声でわめき立て、その瓶をたたき割る事もあったようだ。

彼は人々の鼻つまみ者、酒乱として周囲に映ったようだ。無理もない、酔った勢いで通りすがりの人と喧嘩の毎日。外へ出れば石が飛んでくる、いきなり殴られる、そのような状態だった。

この一見ただの酒乱男こそ、モーリス・ユトリロだ。あの世界的な画家のユトリロの私生活の実体がここに現れている。

正直、このような私生活を繰り返し、周囲の鼻つまみ者でしかない芸術家が他にいただろうか?

しかも、なぜ、そんな乱れた生活をしなくてはならなかったのか?何がそうさせたのか?、 その裏であのような絵画創作が出来たのか、この他に類を見ない画家の作品と彼の人生に非常に興味を持ち、再びモンマルトルへ飛んでみた。
 
 

ユトリロの生誕の秘密と幼児体験

モーリス・ユトリロは1883年、モンマルトル、ポトー通りで生まれる。母はマリー・クリマンティーヌ・バラドン、通称シュザンヌ・バラドン。父は不明。

ポトー通り、ユトリロの生家と思われる建物

シュザンヌ自身も私生児である。幼い頃フランス中部から母と2人でパリに出てきて、幼児期にはモンマルトルの麓にあるロシュシュアール大通りで絵を描いて遊んでいた、という記録が残っている。

13歳位からサーカス団員、モデルなどをしており、モーリスを出産した頃はドガ、ルノアール等のモデルをしていた。さらに彼女自身も絵筆を取り画家としても活躍していたようだ。

ユトリロの母(シュザンヌ・バラドン)の生涯は波瀾万丈で一つのページが出来てしまう程なのでこの位にしておこう。


  シュザンヌ・バラドンによる
モーリス・ユトリロ2歳

モーリスが生まれたのは、彼女が18歳の頃。残念ながら実の父の事は彼女が全く語ろうとしなかったので不明である。彼女自身もはっきり分からなかったようだ。

スペインのジャーナリスト、ミゲル・ユトリロが認知したという形で、モーリス・ユトリロと名乗る(8歳)事になるが、モーリス自身、ミ ゲルに一度も会ったことがないようで、「どうして会いに来てくれないのか?」と訴える手紙を書いている。父親に会ったことがない、という寂しさは人一倍 だったようだ。結果。彼がミゲルと会った事があるか、については不明なままである。

モーリス12歳当時のシュザンヌはポール・ムージスと結婚(同棲)。祖母のマドレーヌと生活することになるが、モーリスは人一倍母に対する愛が強く、母に相手にして貰えない事が相当のストレスだったようでこの頃、自分の殻に閉じこもるような態度を示すかと思えば、突然暴れ出す、という不安定な心の状態を示す行動が見られたらしい。

この頃モーリスは性格が変わっていたため級友達からいじめを受けており、その異常な性格が加速したらしい。

飲酒の習慣もこの頃からと推測されているが、これは珍しい事ではなかったよである。

むしろ、寂しさ、自分の湾曲した性格を酒に逃げていた事が問題だったのではないだろうか?そう指摘するユトリロ研究家も多い。

さらに問題なのは、パリの中心地にあるロラン中学校への入学である。かれは成績はどちらかと言えば上位の方であった。が、パリ郊外に祖母と寂しく暮らす彼にとってこの華やいだパリの街は誘惑の他何者でもなかったようだ。

家に帰らず、ビストロやカフェで酒を飲むことも多くなり、確実に彼の心を蝕んでいく。
アルコールとの共存、戦いの始まりである。

当然の事ながら学校の成績は下がり、とうとう15歳の時には留年、退学のいずれかを選択せねばならない状態になってしまった。

義理の父(ムージス)の決断で退学、銀行に就職するが、同僚を傘で殴りつける等で退職。その後もムージスの紹介で仕事を転々とするが、結局続かない。

ムージスの紹介で就職した銀行クレディリヨネ。どこの支店に勤務したかは不明